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2005年02月22日

買いたい気分にさせる50の作戦

谷口 正和 (著)

顧客心理を揺さぶる気分の演出学という帯がついていますが、マーケティングの特に感情論を扱った本です。

さてマーケティング本をなぜ自己探求な当サイトで扱うのかというと、ひとつめは、今の個人重視の社会で個人のアピール方法をマーケティング論から学ぶのは非常に理にかなっているということ。ふたつ目は自我の確立において、世の中の消費活動に冷静になる視点を持つということ。つまり日本はマーケティング活動の高レベル化に伴い、本当に欲望を喚起されやすい社会になっています。自分が必要ないものまで必要だと感じてしまう消費活動は、つまるところ余計な労働と収入を別途用立てる必要がでてくる。それが時間とお金の無駄にならないでもないというデメリットから脱却を意識することも大切(当サイトのようなコンセプトにおいては)だと思うからです。


■マーケティングに学ぶコミュニケーション
いかに売り手がどのような思考を持って戦略を立てているのかを知る事は、自衛手段でもあるし、自己戦略にもなり一石二鳥です。
それをうまく活用できたときは、どちらにころんでも自分にメリットが享受されると思います。そしてマーケティングはつまるところコミュニケーション学に通じますので、相手に気になって考えるという基本姿勢は、社会生活を普通におくる際にもとてもいい勉強になると思います。

この本は、マーケティングにおける、理論戦略ではなく、もっと感情的な側面に的を絞って50の項目でわかりやすく書いてあります。
こんな構成からもマーケティング的に考えられたうまい企画であるとも言えますね。

■気分の演出学
この本のサブタイトル的なこの言葉は、演出。つまり自分を商品をサービスをどのように伝えるかということです。
「雰囲気」という言葉にも「気」という文字が出てきますが、この「気」とはなんでしょうか。
人はどんな理屈や説得を聞いてそれに成否を見出しても、最終的には感情論で決定するという動向もあります。つまり「気」がいい方がいいのであって、理屈や論理がどっちにころんでも「気」が悪ければそれは「NO」です。
それが人ということではないでしょうか。

だから「気」がよく感じる方法、=演出を考えるということが大切になります。

■嘘なのか演出なのか
ただし「気」というものは非常に敏感です。
それは理論ではなく、人の本能的な感覚能力の一部だからです。
すばらしい気の演出が完成しても、そこに「嘘」があると人は敏感に反応します。そこが「理論が正しい」=「正しい」といった「正論」で割り切れない不思議な部分です。
例えばこのような本で演出方法を学んで、それに加えて素直な自分を演出するには、自分の本当の部分を知る必要もあります。
自分の素直な部分を感情的に演出できることが、セルフクエストで最もスマートな到達点かもしれません。

■思い、期待、愛、雰囲気、そして欲求
現代マーケティングは一種の心理学です。
優秀なマーケターは、理論武装もさることながら、心理学を学習して、人の気をひきつけるテクニックを持っています。
そこに自分達も引き寄せられ、商品を選択していることと思います。
ほとんどの消費活動においては、そのような数種類の中から選択するという活動をしていると思います。それに加えて、必要ないところに欲求を喚起され、「なるほど、それはいいね」と思わされる仕組みがあり、そこから経済が発展していきます。
「必要ないものから必要を生み出せ」というのがマーケターの基本です。「エスキモーに氷を売るには」といった本もあるくらいです。そう氷には不自由しないエスキモーにどうやって自分の氷を売るか。そこの氷と自分の氷にどのような違いがあり、自分の氷をお金を出してまで選択してもらった後にはどのようなメリットがあるのか。そんなことを日夜考えつづけています。そしてあなたも自分の仕事で少なくとも同じようなことを考えなければならないことも多々あると思います。

消費活動は気分いいです。
しかし自我が確立すると消費活動も違った側面を帯びてくるかもしれません。
消費活動は資産を削ります。
しかし新しい消費活動は資産を削らないかもしれません。

マーケティングを勉強するということは、生活を向上させる知恵がたくさん含まれています。

■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■
自己防衛という視点と、自己アピールという2つの視点があると書きましたが、自己アピールという側面で言うと、自己探求をして、自分のブランディングが出来上がってきた。そしてそれをどのように文面化して伝えるか。
その段階になると、このような気分の演出というのは素敵かもしれません。

さらにプロっぽくなるかもしれませんし、自分を気分良く見せるテクニックは最終的には必要になります。
堅物でまじめで、面白みにかけて、と、本来はすばらしいものを持ち合わせている自分だけど、エンターテイナーではない自分はどうしても華やかな他人と比べると見劣りがするということはよくあることです。
そこで自己嫌悪な気分になると、他人にもその嫌悪感が伝わります。
それをうまく演出でカバーするにはどうすればいいのかというテクニックがこの本には詰まっていると思います。

まじめで面白みに欠ける自分だけど、嘘の無い素直な範疇で、気分よく見せる方法は??自分ブランドを書き出したけど、伝える方法は??

自己防衛な視点に関しては、ロハスなライフスタイルを作り出す基本は、自我の確立にあります。世の中の奴隷にならずに、如何に自分のライフスタイルを作り上げるのか。それは他人のオススメに心を奪われているのではなく、自分で必要なものを見極めるテクニックにあると思います。
そこでマーケティングを学習することは、そのような商魂テクニックに心奪われる前にそれを見抜くことも気分いいものです。

これからは「本物」の時代といわれています。
本物とは何か。それはやっぱり本当に必要なものであり、本当に誠意によって生み出されたものであると思います。それらにうまく反応して、それ以外のマーケティングテクニックで売り出されているものには反応しないというスタンスはとてもロハス的であり、現代的になっていくと思われます。

Posted by syn at 16:58 | Comments (0) | TrackBack

2005年02月20日

日本がアルゼンチンタンゴを踊る日

ベンジャミン フルフォード (著)

この本は外国人ジャーナリストの著者が、多くの取材や客観的な視点から省みて、日本の政治や経済システムに関して述べている、ある意味警告を発している本である。

この内容に関する真偽については、コメントしないが、例えば日本が民主主義国家としての機能をどこまで発揮しているかとか、闇の真実というものが存在している可能性について、国民が盲目にさせられている側面というものに意識を向けることの意義については、とても共感させられる。


内容に関しては多くの取材により裏付けを得ているようにかかれてあるが、権力によって封印されている真実については本当のところ、一般からの関与は困難なことであると思う。
ただ、過去の事例や、歴史、そして密告と様々な視点から検証したシナリオはとても面白い。いや怖いところもあるかもしれない。

僕はセルフクエストという自立支援的なサービスを立ちあげているが、社会的自立というもうひとつの意味合いは、このような国家権力にどこまで依存するのかという見極めも必要だとつねずね感じている。
国家権力や社会保障をまっとうに教授している国民はいいが、そうでない国民も大勢出てきており、その不公平さや、はたまた不公平に気付かないシステムに惑わされている現状を省みて、自立という意味が、国家に依存から国家を利用するという賢い選択枝を見つけるということも含むのではないかと思うからである。

著者の出版している本はこれ意外に数冊あるが、どれもエキサイティングで面白い。権力構造と国民搾取の構造を共通テーマにしており、全てが間違っているとも言いがたい(全てが正解かもわからないが)。
でも「もし本当だったら、、」という感覚は、これからの社会生活には必須ではないかと思う。

年金にしろNHK受信料にしろ、曖昧な徴収システム。そして税金の無駄使いとか、政治と地方の癒着構造等、キレイにしたくても出来ない理由。
国民の誠実な感情が裏切られつづける理由は、複雑に根付いている様々な利権関係の問題。
そういった闇の側面を、ある意味わかりやすく書いてもらったと思っている。

■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■
このような社会風潮を学習することは、自分が何に依存し依存されているのか。
そして法律に違反しないとはどういうことか。
また、盲目になっている不公平とは、どういうものか。

国民がいいように扱われていることが本当にあるのか。

つまるところ、国家や社会保障に依存して、裏切られたときのダメージを少しでも回避するような準備を整えるという発想で、両者損得の無いいい落しどころを見つけるのは、とても有意義ではないだろうか。

セルフクエストで得られる自分の理想像を達成するには、場合によっては海外も視野に入っていることだろう。有能な人材が海外流出するその本当の意味は何か。そして海外を含めた資本主義経済の仕組みを学習してみることの一旦をこのような本も意義あると思われます。

Posted by syn at 20:06 | Comments (0) | TrackBack

2005年02月18日

「自分づくり」の法則 他人に“心”を支配させるな

加藤 諦三 (著)

抑圧の強い人。
自分は不安だけど、不安を認めない人。
自分は臆病だけど、臆病であることを認めない人。
そしてこのように抑圧の強い人程「立派なことを言う」そしてそれは人を苦しめる結果となる。教養、道徳、~すべき、愛情、良心。そのような美しい言葉によって子供を痛めつける。

こんな歪んだ不幸は身近にもあるだろうし、自身にも心当たりがあったりしないだろうか。そしてそのような家庭環境で育ってしまうと、精神的な死を体験することになる。そしてその体験を持って本書は書かれたという。


若干この本のタイトルはへたくそだと思う。
本当はもっと崇高なことが書かれてあり、万民向けであるとも思うから。


■ココロの暖かい、ココロの冷たい
冷酷という言葉の真意をこの本で始めて知ったような気がする。映画やテレビそして冷酷な発言や行動を伴う知人等を介して知っていたような「冷酷」ではなく、自分の中に存在している無意識、それも善良だと信じていた心から発せられている冷酷の姿。一瞬恐ろしくも思えたこの感覚には、まだ救いがありそうだ。
それを自我をもつこと、すなわち自己発見の大切さを説かれている。
自我を確立することが、こころを暖かくし人間的魅力につながる。そしてそれを超えてやがておとなになる。

■実体験と数十年に及ぶココロの葛藤からの意見
この本は、やはり作者の苦しみぬいた果ての優しさを感じる。その自我形成の過程で様々な発見があり、その体験や性質は今の時代もそれに苦しんでいる人も多いことだと思う。

■受け入れるという真意
この「抑圧された」という状態は一般の人にも普通に見れらよう。そして、それを認めず抑圧してしまうのである。だから不安とか臆病、恐怖、強欲、冷酷を認めることが自我の確立に繋がるもっともシンプルな方法だと。その先に暖かくなる自分を発見することになると。
また「親離れ」が安心をもたらす。これは自分を受け入れるという自立的な意識と重なると思われる。

■育った環境を観察する
まずどのような親の元で育ったか、そしてどのような人間関係を送ってきたか。自分は人の不幸を望んでいないか。そして親にどのような要求をされながら育ったのか。その親の要求(=理想)矛盾した2重の束縛を生むことがある。つまり正論的にどちらも正しいのだが、どちらにころんでも自分は怒られてしまう。そのような例は本書に譲るとして、人が現代社会において子供を育てる中で今と将来とを掛け合わせて子供のためを願うキモチが、今の子供に無理を虐げてしまうことに繋がる。
そこから人は「精神的死」を体験しトラウマとなり、遠い未来となった今に発現する。

人と異なった家庭、立派さを求められる家庭、強制がまかりとおっていた家庭、、まじめな家庭、こういった家庭で育つと先に述べた抑圧された感情が高まりやすくなる。

しかしこれらは、将来改善できるものであり、今こういった指摘に出会うことは人によってはラッキーなことかもしれない。

■犠牲者としてのおとな
親の要求は義務ではない。親は自身の経験等から、立派さやまじめさ、そして将来の進路、果ては道徳まであなたに要求してきたかもしれない。それは教育であったり、しつけであったりなんでもいい。しかし、それは義務ではないことに気付く必要がある。それが義務ではないと知ったときから自我が目覚める。
もともと自分に無いものを要求されるところから始まる。それを取得すべく必死にがんばったりするのである。しかし幸福者は「無い」ものにこだわらない。「足るを知る」にも通じるのであろうか。こうすべきだと信じてきたことが親の要求から派生した義務を化していたならば、あなたは犠牲者かもしれない。しかしそこで恨んだりする必要はない。そのことに気付いて解放され、そして自我が成長することにおいて、やがて親よりもおとなになるかもしれない。そんなことになれば、世の中のそういった俯瞰的状況を見渡す心のゆとりもできる。

■自分を誇りすぎるな
あまり自意識過剰にでる心理もこの抑圧された感情に近いそうだ。そして自分の仕事や成果を誇らしげに公表するのも本物ではない可能性が高い。
本当にやりとげた自分の成果は、人はあまり語ることなく自分の中に暖める。それが、豊という感覚なのだろうか。つまりは不安が無いのである。
自意識過剰や過剰に成果を表現する裏には、不安を封じ込める作戦がある。だから人からみるとそれは偽者だと感ずかれてしまうことになる。

そして一種の自我形成のバロメータは忍耐力かもしれない。
忍耐力はとてもつらいものかもしれないが、つらくて仕方が無いのか、そうでなくなるのかは、この自我形成の段階によって個人差があるように思う。自我が形成されてくるにしたがって忍耐力も自然と強くなる。
忍耐力とは集中力にも繋がる。したがって、それは行動力や人間的魅力と重なり合って、「成功」を手に入れやすくなることとなる。

■だから最初の第一歩をとりあえず踏み出せ
まず嫌いなものを一層し、努力して何事も好きになる。
まず自信を持つ。あらゆる角度から自分を観察して少しでも自信にプラスになる情報を集め自信を維持する。
相手の弱点をどこまで許せるか。どこまで信頼できるのか。
そして、本心をごまかす事をやめる。

耳の痛いことばかりだけど、こういったことに自分にも心当たりがあると気になる人はそういったことを意識するだけでも進歩だと思う。こういう立派なことを書いている自分にもガチで当てはまっているのではないだろうかと、いささか不安にもなるけど、いや、当てはまっているというか、素直に共感できた。

結局、病んでいる根源を見つけることは、誰にとってもプラスになると思う。


■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■
この書籍からは、やはり育った環境の再チェックと、自分をいかに自信づけるのかがポイントだと思う。

自信過剰になることなく、本物の自信とはどういうものか。これは誰でも一度は体験していることだと思うが、そういった不安の無い自我を形成する情報あつめとして、セルフクエストは有効に機能すると思われる。

自分を認めることなく、抑圧してきた事項をあぶり出し。
それを認める。そしてそれを認めたところで自分に不安が降りかかるようなことは無いと。反対に解放的な自我を体現することになると。
そしてその自我形成こそが、自分発見、セルフクエストそのものであり、自信から人間的魅力や成功といったものへの最短かつ条件であるということが理解できると思う。

この抑圧された冷酷感を発見するには勇気がいるが、例えばパソコンを中心とした作業の多い仕事の人は要チェックだ。正しいことで人を攻めつづけてはいけない。優しさが凶器にもなり、冷徹さはやがて自分にも返ってくるかもしれない。

Posted by syn at 00:17 | Comments (0) | TrackBack

2005年02月17日

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

山田 昌弘 (著)

基本的にこの書籍のタイトルは厳しいなぁと思う。

自己嫌悪に陥った日本の社会に、第三者的視点で指摘してあげます的な内容なので、現状を客観的に見るにはちょうどいい社会風潮記であると思う。
これを読んで何をどう対処するのかは、やはり自己防衛的な意識を高めるとともに、何に依存してはいけないのか、今の依存関係を問いただす機会として問いただすのもいいかもしれない。


■戦後の社会安定期からの変容
1億総中産階級と言われたきた一般庶民生活もその安定期を終え、バブル崩壊から10年以上経った今、吹きさらし感のある庶民生活がどう変容したのかを、戦後史、職業の変容、家族の変容、教育の変容を端的に解説。そこから2極化されつつある庶民生活を指摘、そして予言している。

中間集団という言葉がでてくる。

この中間集団とは、企業と家族を意味する言葉となっており、戦後安定期においては、この中間集団がなんらかの個人のリスクを吸収する役目を担っていたと解説されている。
ある程度社会保障も難なく運営され、終身雇用や、年功序列的な雇用形態も家族計画を容易にさせ、かつ安心を与えてくれていた。それらに依存すればよかった社会からの一番大きな変容は、その中間集団自体がリスクになるという事態に発展してきている。つまりそれに頼れないので、「自己責任」を重視せざるを得なくなっているということ。
この自己責任という責任を個人に依存する社会になると一見、競争社会が活性化されると解釈されることもあるようだが、その本質は、ばくち的人生の増大を招くことになっていると。

つまり「運だのみ」人生=自己責任ライフ という構図になっていると指摘している。

■希望格差の2極化とは
本書で指摘する2極化(勝ち組み・負け組み)とは、将来に希望の持てる人々と、将来に希望をもてない、もたない人々の差を意味している。この希望というのは、実際には「変容の時代を乗り切れる能力がある」「自己責任を受け入れポジティブに物事を行動する」「運良く健全な中間集団(企業・家族)に属している」といった将来にある程度指針を持てることを指す。

希望が無いとは、「その変容の時代にうまく乗り切れない」「依存できない中間集団(企業・家族)に属している」「依存先を求めつづけている」といった目先の生活に不安を感じることである。

「フリーター」においても、その個人に差はあると思うが、やはり個人事業主や正社員からみるとその収入格差において安心できるとは言いがたい。また「パラサイトシングル」(この言葉は本書の作者が考案したらしい)や「ニート」と呼ばれる比較的安定している中間集団(家族)に属して、目先の危機感を見なくていい立場が存在し増殖している現実からも、その希望感は減少していると感じざるを得ない。

つまり本書の一番の指摘は、このような将来に明るい人とそうでない人に差が大きくなりつつあるという事実である。

■2極化の真意(結婚)
そうなると、結婚して家族を持つという自然な行為がリスクになるのか家庭となるのかはそのパートナー選定にかかってくる事となる。しかし実際はそれも如実に数字に現れているらしく、勝ち組みは勝ち組み同士がペアになる確率がたかく、それらは、DINKS(Double income no Kids)な家庭となる。ただしこれらも現在の離婚率を見ると永続的なものとは言えない。
そしてパートナーのちらかが負け組みであると、その家庭はリスキーになるという構造になるという。つまり負け組みにはパートナーを選定できにくい世の中になっているという厳しい指摘がある。

■2極化の真意(職業)
また社会的能力の向上においては、現代のスピード社会と相まって、現場主義的な風潮も手伝い、やはり現場にいるもののみが能力向上していく傾向が強いという。新しい情報や技術は1極に集中し、競争社会においては、さらに勝ち組みのみによって利益をまわされてしまう構図も存在しているようだ。

■ではどうするべきなのか
真の経済的勝ち組みでない限り、この希望的勝ち組みもそこに留まることには多大な努力が必要である。そこにしがみつくモチベーションをもっていろいろがんばることも出来るけど、真の経済的勝ち組みとの差を考えるとまた違った自己責任のとり方、ライフスタイルを模索する動きもあると指摘する。

それは戦後安定期の象徴である「サラリーマンー主婦方家庭」の離脱ともとれるかもしれない。
新しいライフスタイルの指摘は「年収300万円で生きる経済学」のようなベストセラーになった思想もあれば、内閣府は「生活達人プロジェクト」というものを打ち出し、スローライフやローカルライフといった時間的・精神的にゆとりえを得て生活している新ライフスタイルを紹介したりしているようである。

したがって、本書を読み解くポイントは、現実の状況は真摯に受け止め、自分が何に依存しているのか、また依存しようとがんばっているのかをセルフクエストしたいところである。

■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■
希望格差の勝ち組みになることは簡単だ。
無意識的に求めている、過去の安定生活に見切りをつけることだ。

まず「希望」を生み出そう。希望とは何か?希望を生み出すにはどうすればいいのか?
精神的図太さがあればいいが、そうでない人はより多くのポジティブな情報集めが必要だ。自分のできることや人間関係、それは資格やキャリアではなく、一個人的に優れた部分を見つけアピールすること。
勝ち組み経済社会は、いつだって人材を欲している。しかしセルフクエストできていないわかりにくい人は、リスクを伴うために採用にはいたらない。
チームを儲けさせ、個人に還元するように企業活動するには、自分のポジショニングを明確に自分で主張しなければならない。
それを行う最初の視点は、この「希望」の所在調べかもしれない。
自分のポジションは何も優れた技術や知識を駆使した高キャリアだけではない。末端のアシスタントにおいても、誰でもいいという時代は終わっている。だから希望をもっているアシスタントを必要とするし、希望を持っている見習を必要とする。

希望的勝ち組みになる最初のテクニック
希望という曖昧なもので、優劣が決められるのかという疑問もあるかもしれないが、本書で言う勝ち組みになることは比較的難しくない。
それは環境に左右されない、発想を持つことで反対に環境を改善できる鍵はどこにでもあると実感しているからだ。

だからセルフクエストで自分ブランドを創るポイントを重視して、取り組めば、勝ち組みフィールドへ属することも簡単なことではないだろうか。
それとライフスタイルの新しい見直しを進めること。何か特に欲しくもない「既存の安定っぽい生活」を求めずに、もっと「理想的」なライフスタイルをこの日本国中から探してみる事もオススメする。

つまり時代は変容している。
子供の頃に育った環境ではない、新しい環境を受け入れる寛容さが必要なのではないだろうか。

Posted by syn at 20:14 | Comments (1) | TrackBack

2005年02月11日

人生に成功する「自分ブランド」

デヴィッド・マクナリィ (著), 牧野・M・美枝 (翻訳)

これからの日本の社会において顕著になってきている中に個人主義的風潮があります。資本主義経済圏に住むものとして、これまで国と大企業がその先導役を果たしてくれていました。その大企業が淘汰されたり、下請けの中小企業も淘汰されつづけ、今や職を探すのも大変な時代です。

そこで自己責任とか自助努力といった言葉が頻繁に使われるようになったのは、企業や国が個人に対しての保証をできなくなってきたからです。
そんな企業や国に、責任や保証を果たせと叫ぶ風潮も残存していますが、新しい方向性を持った人々は、自己責任をポジティブに捉え、起業したり自営したり、また自己アプローチをうまくしながら転職をしたりと、自分で考えるという知恵を使いこなす時代になってきていると思います。


■自己アピールの知恵は、これまでの経済活動の中にある
そこで起業するにも自営するにも転職するにも、その人自身を売り込む方法をうまく体得することが有意義となってきます。その一端の発想が「自分ブランド」ということになります。
これは簡単にいうと、これまでも多くの商品が世に出てきていますが、その商品広告やマーケティング活動、戦略や戦術といった活動をそのまま自分自身に当てはめて考えるという発想です。

商品のできること、素晴らしいところ、責任の範疇、そして人目につく戦術や競争、そして名称やコピーライティング。これまで培われた膨大なるマーケティングの知恵をうまくとりいれて自分を売り込む。
だから新しい発想ではなく、これまでの経験に基づいた知恵という言い方ができ、とても信頼のおける発想です。

■ブランドの基本は「約束」
自己アピールをブランドに落とし込むのも、商品や会社をブランドに落とし込むのも、そのブランドとは、マークやネーミングを指すものではなく、そのマークやネーミングのシンボルの元に何かを「約束」するという宣言です。
そのブランドの商品を買うと、こういった欲求を満足に解決してくれる、といった約束。だからあなたと付き合うことで、誰かはどんなことを助けられるのかといったことを「約束」するのが自分ブランドです。

それをわかりやすく伝える方法を模索するのが、「自分ブランド創り」ということになります。

■約束できるものを探し、自信を持ち、わかりやすくする
実は自信を持てるものをわかりやすくするという作業は、初めて行うと結構難しかったりします。何をどう考えまとめればいいのかは、先に述べた先人のマーケティングの知恵より学びとるのがもっとも速いということです。
その部ブランド創りのプロセスをまとめてくれているのが本書ということになります。

■自分ブランド創りとは、結局「自分探し」となる
自分ブランドをつくることは、人生の基本であるかもしれません。少なくともこれからの日本の社会でうまくやっていくには、必須な作業であり、この知恵に出合った人は幸福です。
いつまでも他力本願で社会保障や終身雇用のような甘い密を求めていては、それに裏切られた時のダメージは計り知れず、またそこから立ち直るには相当のパワーが必要とされます。自分で考えた自分のライフスタイルを持って、理想を実現する活動こそが、これからの日本人のライフスタイルであると思わないでしょうか?

そこで、本書では精神論的な部分ももちろんありますが、自分探しをする考え方のナビゲーションとしては、当セルフクエストにも共感するところもあり、セルフクエストを進めるに当たっても、大いにサブテキストになるに違いありません。

■自分が売れるとは
自分ブランドが成功して、自分が売れるということは、仕事が豊富に選択でき、自分に協力してくれる人が増え、自分に他人に与えられる余裕がでる。といった好循環を生み出すことです。
これがどのような自分の理想や夢を持っていたとしても、これに反する経緯をたどることを望まないことはないでしょう
だからまずそこにたどり着く行動として、この自分ブランドは必須であると考えます。



■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■

まず本書と、当マインドリゾート@セルフクエストの求めるゴール地点は同一のものであると考えます。
したがって、本書で書かれてあることに関しては、セルフクエストの理念とも一致し、サブテキストとして併用していただきたい大切な一冊であることは間違いありません。

現状セルフクエストは、自分情報の収集と蓄積、そしてセルフクーチングを基本とした新しい考え方を発見する道具として機能しています。
その一部に「自分ブランド」作成機能も用意しており、それを使うにあたっては、最低限の自分探しにおけるデータ収集が必須です。

そのモチベーションを維持するために、明確な目的意識が必要になります。その目的意識をどこから導き出すかという部分においては、本書はとても参考になるでしょう。本書に述べられている視点を自分の中にも生み出し、そしてセルフクエストにまとめていく。
自分ブランドも最終的には自分ブランドにまとめ上げることが目的だったりするわけです。

■自分ブランドのその後
自分ブランドを作る作業を一通り行い、その過程を知ることとなるとそれ自体は大いに今後活用できることになります。
それは自分のアイディアを具現化したいときに有効になるのです。
例えば自分が考えたサービスや商品、会社、個人事務所、なんでもいいのですが、それらにこのブランディングの基礎を当てはめて、ブランディング化する作業は何事においても基本であります。
その手法がうまくなるにつれて、商品やサービスが評価を得やすくなるでしょう。自分の努力がより大きく結果に反映されるからです。

セルフクエストはオプションとして、自分ブランドの機能を拡張します。
自分ブランド機能で自分自身をブランド化した後には、自分の理想や夢、そしてアイディアやサービスといったものにブランディングを施していく作業が如何に楽しいものであるかは、体験すればわかるでしょう。
それを繰り返すことによって、自分の努力がうまく報われる知恵に繋がることになります。

是非この機会に体得されることをオススメします。


自分ブランドつくりをするにはこちらからセルフクエストをまずお試しください。

Posted by syn at 16:09 | Comments (0) | TrackBack

2005年02月06日

箱 Getting Out Of The Box

ジアービンガーインスティチュート (著)

自己欺瞞とは、「じこぎまん」と読みます。(Self deception)
この本は自己欺瞞についてかかれてあります。
日常生活においてコレに気付くと言う事は非常にラッキーです。EQにも通じますしなにより人間関係を良くするでしょう。
それには相手は変えられない、自分が変わるという原則に基づいているからです。


■自己欺瞞
これは一種の哲学用語でもあるようですが、
直接的に言うと「自分を欺くこと」「自分をだますこと」という意味になります。
根本的な対人関係の問題や、ストレスの原因にもなっているといわれるこの自己欺瞞の実態を簡単に言うと、

「自分が他人のために正しいと感じていることに対して、それを行わない、裏切ること」です。

それは怠慢であったり、別の要件が原因であったりと理由はどうであれ、
「正しい行動をとらなかった」「自分を裏切った」と自覚していることです。

これを行うと次に人は、自己を正当化するという行動に入ります。
厄介なのは、この自己正当化が始まると、現実を見る眼がゆがめられ、他人をモノ(他人の意思に気付かない)と見なし精神的な攻撃をはじめます。
そして時間を経て自己欺瞞は他人に伝染すると言われています。

つまり自己正当化のために人は他人のせいにするための証拠探しをはじめる、自己中心的な視点からモノをみることを始めます。
これにさらされたその他人はもちろん自己防衛をする。その際にその他人もそれに抵抗を始めます。
こうなると感情の悪循環スパイラルに陥ります。互いに自分を正当化し、共謀して自己欺瞞に陥というわけです。


自己欺瞞を引き起こす大きな原因は、「積極性の欠如」であり、「参加意識の欠如」とか書かれています。
どれだけ相手や仕事にコミットしているか、コミットできるかの問題。
コミットとは「関心」であり「愛情」ともとれます。


つまり自己欺瞞に陥るポイントは、その相手や状況にどれだけコミットできるか否かの自己判断を事前に行うことが大切で、一旦自己欺瞞に陥ると、先の通り、悪循環スパイラルが待っています。そうなった時は相手と張り合ったり、うまくコミュニケーションしたりすることが事実上困難となっていきます。

では、どのようにそのスパイラルを抜け出すかというと、
視点を自分の外に置いて、見下ろすことをイメージする。
そこでは自分も他の人としてみることができ、他人の意思というものも感じられるようになります。
そしてその意思(他人)を受け入れる(または許す)ことができた時点で自己欺瞞は一旦解決します。

再度まとめると、
自己欺瞞が開始されると、自分の視点(カメラ)は眼球の奥の方、どんどん自分の内へ内へと入っていきます。そのときの視点では、他人は意思の無いモノとして扱われています。
その視点を、自分の外に出し、俯瞰の位置(第三者的頭上)に持っていくことでお互いを人(意思あるモノ)と見なし、自分を許せるように他人も許せる(受け入れる)ことがたやすくなります。イマジネーションできるでしょうか。

これは高度なコーチングによって導き出されるという一種の米国での事例です。
後は、その内なる視点の存在を自己認識して、俯瞰の視点をイメージできるようになると、対人関係が改善され、ストレス抑制、モチベーションアップ等に生かされるということなのですが、、、いかがでしょうか。


■でも目から鱗
と少々、厳しい事がかかれてあるのです。
日頃の自分の行いにも当てはまり、耳が痛いとか。でもこれは誰でも自然と当てはまる心理状態なのです。
それが人として自然な心理状態であるということさえ理解すればいいのです。それが発覚したときに気が付くからです。
気が付けば、この自己欺瞞を意識すればいいのです。

そう対処しようが、しまいが、それに気付くだけでも精神衛生的には非常にプラスです。対処しなかったのであればそれ自体が自己欺瞞になるのでしょうが、感情のもつれはそう簡単には引き下がれないという性格の人もいるでしょう。

ただ、もう少しおとなになってみれば簡単に思えてきます。
対抗しあう相手を子供だと想像すると、自然と諦め許してしまうという心理テクニックもあるといいます。許した後はお互いに本当に平穏な時が待っています。自己欺瞞を解決することが「許し」に通じ「平和」をもたらすと感じます。


■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■
自己探求を進めて、やりたいこと、つまり理想や希望を列挙し、それを目指そうとする根本のモチベーションが、社会に対抗するようなマイナスパワーであるとうまくいかないようです。
自己欺瞞を持って、自分の正当性に理由をつけて、自分の理想に邁進する姿は誰が見ても協力しようとは思いません。
自分が不条理に思う環境や状況が、実は自己欺瞞の果てで引き起こしているのではないかと考えてみる事は、高度ですが有意義です。

本書を読み進めて、自分の理想や希望がプラスパワーで成り立っていることを確認してください。もしマイナスパワーであったのであれば、その瞬間にそれを悟ればいいだけです。

落ち込む事も反省することも無しに、プラスパワーで理想を思い描いてください。そして訂正があれば、セルフクエストを修正します。

何事もなかったかのように通り過ぎましょう。

Posted by syn at 13:49 | Comments (0) | TrackBack

2005年02月05日

リトルトリー

フォレスト・カーター, 和田 穹男 (翻訳)

アメリカンインディアン系の素朴な物語です。

これを読んだのは随分と前なのですが、ストーリーの内容よりも、その生活に流れる風景や雰囲気が今も感情の中に残っています。それだけ読んでいるときにイメージが思い描きやすく、そして一種独特の緊張感とスロー感がココロに残像として居座りつづけます。

厳しさとか優しさとか、それがどういうものだったのかということを教えられるのではなく思い出させてくれるような話の展開があり、自分達の生活にも一歩ブレーキをかけてくれるようなまったり感を持って読み進められます。


■感覚が大切
今の生活は視覚と聴覚が一番重要視されており、それに依存して情報を得ようとしつづけています。見るものと聞こえるものが全てであり、感覚的なものに関しては自信がなくなっているといっても過言ではないでしょう。しかし、その感覚を活用するということがどういうことなのか。人が動物と同じ機能で動き、生きていられる以上、その感覚は自然と備わっているものであり、それを信じるのか疑うのかは、自分自身の自信に繋がっているんだと思います。

その自信を如何に得るにはどうすればいいのか。

それはきっと社会に保証を求めるような安心感ではなく、もうひとつの安心感が必要だと思います。それは、人が人として生まれてきた以上守られている自然の摂理のようなものへの信仰に繋がると思います。信仰とは宗教にとらわれることなく、安心を託せる感覚。

■感情的に浮き沈みがあっても
失敗や、いろいろ不安定な事態に襲われたり、不幸や災難もある。しかし成功や幸福等と同じ価値観としてそれらを捉える事により、何が起きても動じないそれらが将来の種となることを信じられることが自然の摂理への信仰ということだと、このリトルトリーを読むと感じてきます。

リトルトリーも決して幸福な時ばかり過ごしているわけではなく、不幸もあるし、精神的に追い詰められることや、不条理を味わったり、組織に馴染めずに悩んだりしています。しかしだれでも一人以上の誰かに守られていたり、時間が経過することで、状況は常に変わっていくという真理や、それて、目標やゴールを定めていても、そうでなくても、それが訪れるときは訪れ、そして、すぐに去って次への展開へと進む。そういった淡々と流れるものを受け入れる姿勢は、難しいことであはなく、人(生物)としてこの地球上にいるだけで、誰もが持っている能力であると思います。


■子供とは小さなおとな
子供を育てている人には、とても参考になると思います。子供は社会の資産であり、大切に育てていくべきだとは言うまでもありません。
子供を甘やかすといった風潮は現代においてより顕著になってきているようですが、子供を子供として認識するのはおとなのエゴであり、いつまでもかわいいままでいて欲しいとか感じるエゴに近いかもしれません。
子供とは、体の小さいおとなであり、役割も使命もそして仕事もおとなと同じように分担されるべき一個人であると思います。

それがより子供にとって将来生活や人間関係、仕事等に困らないで、生きていける知恵を授けてあげることがとても重要だと、このリトルトリーを読むと良く感じます。

何を教えられるとか、何を感動するとか、そういった押し付けもなく、そして、リトルトリーが実話だとかフィクションであるとかそういったことは意味を持たず、淡々と毎日がすぎていく、そして何かが起こり何かが解決する。その繰り返し。それが営みの基本であると感じる。そしておそらく、ちょっとジーンっとくると思います。
それだけでいいではないか。「それだけ」がシンプルなのかもしれない。
それが何なのかは読む人のこれまでの生活によって様々に解釈されることでしょう。


■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■
例えばスローライフというキーワードにおいて、現状のライフスタイルを見直そうとするとき、これまで必要だと教えられてきた、様々な生活管理、目標設定や計画、日々のルーチンにおいて全てをリセットすることを考えなくてはならなくなります。
社会制度を作ろうとしている人々がその模範となくライフスタイルや道徳的価値観を作り上げた中で育てられると、それに対して疑う事に気付かなくなります。しかしリトルトリーのような、我々と違う社会で生きている人の生活の視点や価値観を感じることは、実は大切なことで、人種や国が違うからといって我々には関係無いということはないということです。
反対に盲目にさせられている自分を気付かせてくれるのは、いつも外部の人や視点であります。

これからのグローバル社会の醍醐味はそこにあると思います。グローバルにおいて国境を越えて同じ価値観に統一しようとする試みに生きる我々において、一歩はずれた自然で素直な生活形態があることを知らせてくれる、それがグローバル社会を反対によりよく生き抜く知恵になることがこれから立証されていくことでしょう。

つまり、自分の価値観を見直し、そして自分の価値観だと思っているものへ再度の疑いを持って眺めてみることが必要になるかもしれません。一国の王様が神様であるのかそうでないのか。自国にいると神様として教え育てられたので疑いようもありませんが、一歩ソトからの視点は、悪人そのものに映る場合だってありえます。その神様だと信じている人たちを助けたいとか思いますよね。自分自身の中でも同じことが繰り広げられている可能性があります。
だから異文化の価値観それもより自然に近い感覚を持った方々の考えかたや感じかたを素直に受け入れることは、とても有意義であります。

Posted by syn at 17:44 | Comments (0) | TrackBack

2005年02月01日

マイ・ゴール これだっ!という「自分の目標」を見つける本

リチャード・H. モリタ , ケン シェルトン (著)

目標設定すなわち、自分の理想を明確にしていくという自己実現に向けた基礎を説いている本であるが、とても面白いのでオススメです。
まさにセルフクエスト!


■理想を見えなくさせられる社会

この本で共感させられる部分は、他の本でも多く説かれている説ですが、敗戦後のマッカーサー元帥の3S政策(Screen,Sports,Sex )により娯楽を浸透させて個人の反骨精神とかモチベーションを低減させるマインドコントロールがしかれて、社会保障も充実させ日本人をおとなしくさせ、労働者としてまじめでレールからはみ出ない人を育成する施策がとられてきた。しかし今となっては社会変容とともにレールは寸断され、娯楽に溺れるものはどんどん中毒となり、一体何を将来に見据えるのかといった訓練がなされないまま、路頭に迷う人が増えてきている。
しかしそういった社会風潮を省みて、個人主義時代の到来とともに理想を見据えるテクニックを学習することは、非常に有意義であると。つまりセルフクエストによって理想を見つける段取りとか、理想そのものの定義といったものを自分なりに理解すべく本書はとても詳しく感動的だ。

■成功ノウハウではない
最近も多く見かけられる成功哲学や成功ノウハウの中毒になっている人に向けては、それをもうやめよう。つまり自分で成功シナリオを設定する準備が必要だと。成功ノウハウで説かれている内容は、成功者の努力や個人のノウハウや経験促なので、誰にも通用するものではない。読むと自分が賢くなったような気がするという罠であり、成功ノウハウは実践的に成功がもたらされるものではなく、「夢」を売られていることに気付くべきだ。あなたは夢に投資している。
作者のノウハウではなく、「目標」というシンプルな落しどころを強調し、その確信をもってセルフクエストの方法を説く。

■当方が主催するセルフクエストもとても参考にした
実はこの本の内容は、当方の主催するセルフクエストを構成するときにもともて共感し参考にさせていただいた。
成功法則のようなものではなく、自己の発見と理想の設定により、やるべきこと、できることを活動の大部分を占められるように計画する。
つまり自分の時間やお金や活動できるやる気のような、エネルギーを全て、将来の目標(理想)実現のための投資として扱えるかどうかを見極めるという方向性が一致しているからだ。エネルギーが漏れていると、いつまでたっても、目的地に着くことなく、毎日同じルーチンをこなすことになる。そしてその毎日が同じところを堂堂巡りしていることにさえ気付かなくなってしまう、社会生活や、さらに言えば社会制度やマスコミコントロールが存在している。

それらに対抗するのではなく、自己を個人としてしっかり確立するだけで、日本ではまだまだやっていける土壌があることを幸せだと想える状況もある。世の中には希望をもてない国だって存在するのだから。

■自分の記憶をとことん洗い出す
単純に夢や理想を思い描くことなく、「本当の目標」というものに著者はこだわる。夢に現実逃避することなく、エネルギーを「本当の目標」に全て向けるにはどうすればいいのか。
ある章では、自分史を進めているが、つまり過去から今までの経験や記憶そして、能力や才能、独自の考えかたや生活環境を思い出し、よりパーソナルアイデンティティを明確にしていく、さらにはそれを磨き上げると言う部分は、最近の自分ブランドという言葉にも通じるところ。
それをうまく導き出すコツのようなものも豊富に紹介されており、そして膨大なる質問も掲載されており、どんどんディープにセルフクエストできるようにもなっている。その記憶の掘り下げから、本来の夢つまり、実現できる理想、そう「本当の目標」を導き出そうということである。

また先に書いた「聖なる予言」のようなスピリチュアル系でもとかれてある両親との関わりについての記憶の探求については、こちらでも同じように説かれてある。今の人間関係は全て両親との関係と同じものであり、その関係をどのように自分自身で受け止めるかで将来的な人間関係そのものを占うのに避けては通れない記憶探求であると。だからそのあたりについても詳しく説かれてあるので是非一緒に考えてみることは無駄な作業ではないと自負する。

■書籍として感動的
本書の構成デザインにはいささかカッコ悪めなセンスを感じてしまうところもあるが、時々挿入されている「ひとこと」はとても心にここちよい。
それをたどっているだけでも、癒されたりする。
自分の記憶をたどるというディープな精神作業を行うには、こういういたわりのメッセージを挿入しておいてもらうだけで、とても安心するし、作者の優しさも伝わってくる。
でも全体を通して、目標設定のコツを説かれるように進行していくわけだが、読む進めていくうちに本文のメッセージに対してとても感動を覚える。
しみじみとみんなで思い悩むことをやめて、もっとすっきりした人生設計をしていこうといった、やさしさに心打たれるのである。

■■■ この本のセルフクエスト(自己探求)における視点 ■■■
この本で実践できる部分は、全てセルフクエストでも実践可能だ。もしくはこの本をテキストにして、オンラインノートとしてセルフクエストを利用するということも大いに考えられる。
自分の記憶のデータベースとしてセルフクエストを利用すること。そしてその記憶を導き出すコツを本書から得ていただけると非常に有意義だと思われる。

夢とか希望が、本当に自分のものであるのかは、非常に難しいところである。夢を見ること自体は簡単だし、それを望んでいることも自分では疑いようが無い。しかし例えば天職とか自分の能力才能、そして本来他人に奉仕できるような関係性を維持できる、つまり、自分自身の価値を一番発揮でき、誰もがWinWinになれるような活動と一致しているのかが問題である。

夢は簡単には諦めきれないけど、もっと他に実現できる隠れた夢が存在している可能性があるのだ。それは必ず自分がやって楽しいことであるし、他人に幸せを分け与えられるものであるはずであり、何より、一番スムースにことが運ぶことであるはずである。それを本書の言葉でいうと「本当の目標」であり、セルフクエストでいうと、「理に叶って想えること」つまり「理想」ということになる。

その人生の根幹にかかわる基礎であるので、落ち着いて冷静に取り組むことがなにより自分とまわりに成功をもたらすきっかけになるのではないだろうか。

Posted by syn at 14:45 | Comments (0) | TrackBack