人や社会を避けたくなる構図
Writing by syn on 2009年03月02日
反社会的な衝動や、ひきこもりがちに人や社会との関わりに積極的でない感情、そしてそれが正義な意識が含まれていようと、筋が通った正論を持っていようとも、あまり良い状態とは言えないかもしれません。それは自分もこの社会、この環境に存在している以上そこに嫌悪を抱くことは精神衛生上マイナスでしょう。
一般的なこの人や社会を避けたくなる構図はこのような感じです。
人や社会が嫌いである。
もちろん全ての人というわけではなく、自分なりにカテゴライズした枠内の人を嫌っていたりするでしょう。例えば「サラリーマン」「公務員」「いまどきの若者」「いまどきの大人」「金持ち」「貧乏人」「おたくな人」「超一般的な人」等など、どのようなカテゴライズを自分が作ったとしても「嫌悪」の対象が存在するのは、「自己投影」の心理が働いています。つまり自己嫌悪があるために、他人にも「嫌悪」感が感じやすくなります。
人や社会が嫌い = 自己嫌悪
人は誰でも少なからずコンプレックスを持っており自分の嫌いなところがあるでしょう。しかしここでいう自己嫌悪はもっと深層心理的に自分の存在や能力を認めていない感情です。非常に厳しく自分を評価していて、この厳しさは他人や社会にも同じような評価をくだします。
自己嫌悪 = 厳しい評価
厳しい評価とは、生真面目という自分の性質が反映しています。これは性格と思われがちですが、そこまで根本的なものではなく、習慣的なものです。つまり考え方の癖といえます。ですのでこれは改めることが可能です。ではこの厳しい評価が顔を出すきっかけは何かというとそれは理想主義という非常にエゴイスティックな考えが存在しているからです。理想主義とは、「自分はこうありたい」という強い願望です。理想の人や理想の生活をある程度明確に持っている人でしょう。理想を持つことはとても大切なことですが、完全主義的な意識があると理想と現状の自分との差に絶望してしまいます。理想を目指す前向きな意識ではなく、理想との距離を無意識的に悲観してしまうのです。この「無意識の悲観」が「厳しい評価」に繋がり「自己を卑下」してしまいます。
厳しい評価 = 自己卑下
理想に達していない自分がどれだけ醜く情けない者であるかを自己卑下という感情で自分の心を防衛します。つまり嫌悪に陥り負け感情にさいなまれるのではなく、第三者的な自己感情が、卑下する、見下すというある種の優越感を自分の中に生み出すのです。この「優越感」つまり「自己卑下」が「自己嫌悪」の「絶望感」とのバランスをとるのです。これらは失敗の言い訳を探すように無意識で行われます。
自己卑下 = 他人や社会を卑下してしまう。
この「自己卑下」の優越感は、ある種の快感を伴うもので癖になりがちです。だからこれも無意識のうちに他人や社会も同じように卑下することで新たな「優越感」の快感を求めたりします。結果、「他人や社会を卑下し見下す」ことが「他人や社会」に不信感を抱き、「他人や社会を嫌ってしまう」ことに繋がります。
このスパイラルはどこで断ち切れるのでしょうか。
それは理想主義の部分です。理想と現実との差に対して自分を認めないという間違った完全主義の部分は、理想を志す新しい自分の態度や感情や計画によってその不完全さを認めることが可能です。不完全であるがゆえにそこを目指すこれからの日常に希望を見出す、わくわくする、楽しむ、そして我慢や努力を覚悟するといった感情・考え方があることを知るのです。そしてそれは多くの人も普通に持っている考え方であり、頭ではわかっていても自分の怠慢や無関心さがそれを見えなくしていただけであるとわかってくるのです。
ここが前向きになると、自己卑下が消え去りますので、他人や社会を卑下することはなくなります。なぜなら理想と前向きに関わることはすなわち、この社会や人々との関わりを肯定することだからです。自分よりも弱い人を助け、自分の理想を支えてもらう人の存在を知り、そして自己実現自体が他人に対しても幸福をもたらすものであることを自覚していくからです。
自分のコンプレックスを治す部分からスパイラルを断ち切ることは困難です。しかし人は自分の悪い部分を治そうと考えがちです。しかしそのコンプレックスは治すよりも認めてあげるほうがとても簡単なことだとなかなか気付きません。いや頭ではわかっていたり、そういう意見を見聞きしたことがあるでしょうが、その意見を受け入れない=自分を認めないという感情に頑固に結びついているからです。
そもそも自分の嫌いなところを認める方法がわからないとも言えるでしょう。それは自分の嫌いな人を好きになれといっても所詮無理だと感じるからです。でも嫌いな人でもちょっとしたきっかけで「仲直り」することもあります。なぜならそのあなたの嫌いな人は、その人の性質がその嫌っている性質100%の人ではないからです。もしかするとその嫌いな部分はその人の5%くらいなのかもしれませんし、30%くらいかもしれませんが、そのちょっとしたきっかけで、残りの95%や70%を垣間見た時、その嫌悪よりも大きい好意があなたに生まれる可能性が充分あるからです。
これは「偏見」ともいいます。
だから自分に対しても「偏見」しているのでしょう。
しかしこの嫌悪の対象である「偏見」部以外の部分は、上記に記した「理想への前向きな取り組み」によって垣間見ることができます。理想に目を輝かす「いとおしい」自分を発見するからです。
そうなると、「他人や社会」に対しても「いとおしい」部分を再発見することになります。
乱れた社会に悲愴感を持ってなんとかしてあげなくては思うかもしれませんし、嫌悪を抱いていた人にも問題や悩みがあり同じようにがんばっているのかもしれないと同情することでしょう。
この状態はすでに、上記のスパイラルが断ち切れていますよね。他人や社会に関わる意識も戻っていることでしょう。
まとめますと、理想の自分が今の自分を卑下するような感情を静めて、今の自分が理想の自分に慕い崇め、素直に自分の将来を信じることです。それでこの人や社会を避けたくなる構図が、自己全体の改善へと繋がっていきます。

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