必ず正当化はできるが、
Writing by syn on 2009年02月26日
どんな状況でも、
どんな結果でも、
そして誰でもいつでも、
それを「しなかった」理由は必ず言える。それはまったく正しく間違っていない。きっと何かしらの条件が整わなかったに違いない。時間がなかっただろうし、お金がなかっただろうし、モノが不足していただろうし、誰かのせいだったろうし、急用が追いかけてきたんだろう。
しかしこのような理由は、正否に関わらず、絶対にそれが正しいと説明できてしまう。
正論になったとしても、それは言ってる本人にとっては、全て正しいだろう。
しかし、本当は「しなかった」理由は無い。
そのもっともな理由が、ものすごく弊害をもたらしたたに違いない。しかし、そういうことは、いつでも誰でもどんな状況であろうと、必ずその理由が「正しい」と言える。
そしてその理由が自分の中で正当化されてしまう。
しかし正当化は、正当ではないのだ。
だから言ってはいけないのだ。
やる前から、やらない理由は、いくらでも存在しているのだ。
「したの?」「しなかったの?」
結果は、YesかNoかでしかない。
そして、Yesの時だけ、後に続いていく。
Noを正当化したところで、輝かしい理由だけが積もっていく。

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Category: 自分の探し方
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