我慢とはエゴなので、
Writing by syn on 2009年02月23日
我慢すること自体がエゴイスティックな感情の正体かもしれない。
自分を、生活を良くしようとして、何かを我慢することも多いことと思います。
しかし「我慢」をしている状況をよく観察してみると、自分の敵がよく見えてきたりします。
「我慢」があるうちは、よい志も欺瞞的です。
例えば、
本当のベジタリアンの人たちは、肉を我慢しているわけではありません。肉食が必要なく、欲しいとも買おうとも思わないのです。
これと同じように、何かを我慢しているとは、希望に沿わないことに耐えているということであり、希望に沿うこと=エゴではないかと思うのです。
そしてその希望に沿うこと自体が、とても崇高でエコで美しく、清貧なことであっても、我慢が生じるかぎりそれと反対のことを希望しているということになります。
ということは、そういう生活の方法やテクニックではなく、必要とならないような心のあり方や価値観へのシフト、つまり自分の考え方の変化が一番最初に必要なようです。
「我慢」が感じられたとき、耐え忍ぶ覚悟をするのではなく、もっと精神的感覚の新しい状態を探してみるといった心の向け方があるようです。
自分にはうそはつけません。
とてもいい志を掲げていても、体や心がもっと今の状態から変化(改善)していくことを嫌がっているかもしれません。そんなエゴとの決別の方法を模索してみたいものです。
エゴとの対決が人生の課題だったりすることもあるでしょう。
エゴの正体が我慢の中にあるとすると、エゴをおびき寄せて戦うことは簡単なようです。
エゴとの戦いは、嫌悪を持って暴力的に戦うことではなく、
エゴ自身に自分の存在価値を消滅させ、「ここはあなたの来るところではありませんよ、お帰りください」と辱めるような静的な戦いです。
断食のような我慢の限界に挑戦するようなことに対しても、歯を食いしばって耐え忍ぶようなことではなく、今このときに食事は必要ないという精神状態を知ることで簡単に断食が達成されると思います。
マラソン、止りたい休みたいという我慢を克服すると、いずれ脳内麻薬が分泌され、止りたくないと思ってしまう。そこにはもはや我慢はない。

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Category: 自分の探し方
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