自己実現のための自己分析方法。確信できるセルフイメージで自分を変える、本当の自分がやりたいことを行動するための自分探し方法。


知足知止

Writing by syn on 2009年01月11日

知足知止とは、タオ(道)に出てくることばらしい。

足ることを知る
止まることを知る

という意味であり、

今でもう過剰なくらいモノも時間もお金も幸せも足りていて、
これ以上何もやらなければならないことなんて無いではないか。

と。

エゴは本当にうるさいけれども、

本質的な教えは、みな、この知足知止に向いている。

自分は家族のため、社会のため、しいては地球のためだったり人類のために、毎日をあくせく活動しなければならないようだ。どう考えても何もしないで怠けていては怒られるだろう。


知足は、自己で完結できるので大丈夫そうだった。

しかし知止は、得てして誰かに迷惑が及ぶ可能性が大きくとても困難である。

加えて、知足の境地で求めずにいても、周りから溺れるくらい与えられてしまう。

だからまだ無知なのであった。


止まっていることが、怠けていると思われてしまうのは、時間の中に自分をおいているからだと。
空間に意識を漂わすから時間が発生するのが問題かもしれない。
時間と空間は同一のものらしい。
空間を進むから時間が発生する。
空間、一点に留まっていなければ時間は発生しない。
一点に留まるとは、その場で振動していてもいけない。
点であってもいけない。
無であるか、全体でなければならない。
そこにきっと知止があり、きっとそれは他人に迷惑になるようなものではないのだろう。
そして与えられるスペースもなく、全てはもう与えられきっている状態でもあるので、知足となる。


よく矛盾するのが、

我慢はエゴであり、我慢が達成されていても、それは知足ではないということ。
えらい人になりたいというエゴと一緒のようなもの。
エゴは確かにエネルギーの一種ではあるけれども、そこから得られる創造物は全て虚構であるかのようだ。知足知止によって創造される、、なんだろう、、、きっとそれは自分のためのものではない何かを発生させるような、、或いは、それはすでにどなたかがどこかで今このときも発生していただいており、そのエネルギーを持って、わたしたちはこのエゴイスティックであれ、そうでないにせよ、今の時間を生きていられるのかもしれない。

つき生かされているのだろうか。

そうつき生かすほうに回ることは、どうなんだろう。


さっきの風がこのような思考を運んできた。



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Category: 自分の探し方

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